ササユウは考えた

40代がウンウンした

入我我入

舎利禮文(舎利礼文・(しゃりらいもん))というお経に「入我我入」というのがあります。

以前、うちに来てくれてるお坊さんの法話で聞いた話。

「入我我入とは仏が我に入り、我が仏に入る」、人間世界に置き換えると「人と話をするときはまず、自分が相手の心に入りなさい。すると、相手も自分の心に入ってくる。互いが心の中に入り合う、それが心に語りかける話し合いですよ」といったような意味みたいです。

気が付けば、もうすぐ立春(2月4日)。「立春」って新しいスタートっぽくて気合入るよね。

目指す道。間違ってない。

舎利禮文 ↓全文↓

一 心 頂 禮 (いっしんちょうらい)

万 徳 円 満 (まんとくえんまん)

釈 迦 如 来 (しゃーかーにょらい)

真 身 舎 利 (しんじんしゃーり)

本 地 法 身 (ほんぢほっしん)

法 界 塔 婆 (ほっかいとうば)

我 等 禮 敬 (がーとうらいきょう)

為 我 現 身 (いーがーげんしん)

入 我 我 入 (にゅーがーがーにゅう)

仏 加 持 故 (ぶつがーじーこ)

我 証 菩 提 (がーしょうぼーだい)

以 仏 神 力 (いーぶつじんりき)

利 益 衆 生 (りーやくしゅーじょう)

発 菩 提 心 (ほつぼーだいしん)

修 菩 薩 行 (しゅーぼーさつぎょう)

同 入 円 寂 (どうにゅうえんじゃく)

平 等 大 智 (びょうどうだいち)

今 将 頂 禮 (こんしょうちょうらい)

<訳>

一心をもって礼拝したてまつります。

全ての徳を持ち合わせた釈迦如来の本身の舎利(骨)は、本来は永遠不滅の法であり、法界の塔婆であります。

私達は礼敬します。

私の身をもって入我我入(我が如来に入り、如来が我に入り、衆生即仏と観ずること)し、

仏の慈悲の力ゆえに、私は迷いを断って得られた悟りの智恵を証します。

願わくば仏神力により人々を利益し、菩提心を発して菩薩行を修行し、

悟りの境地に入って大智が平等となりますように。今まさに頂礼したてまつる。

参考:http://ameblo.jp/white-lotus-511/entry-10100181721.html

初音ミクのニコ動画

チェックもしてませんがyoutube。コメントによればオモロイらしいです。