入我我入
舎利禮文(舎利礼文・(しゃりらいもん))というお経に「入我我入」というのがあります。
以前、うちに来てくれてるお坊さんの法話で聞いた話。
「入我我入とは仏が我に入り、我が仏に入る」、人間世界に置き換えると「人と話をするときはまず、自分が相手の心に入りなさい。すると、相手も自分の心に入ってくる。互いが心の中に入り合う、それが心に語りかける話し合いですよ」といったような意味みたいです。
気が付けば、もうすぐ立春(2月4日)。「立春」って新しいスタートっぽくて気合入るよね。
目指す道。間違ってない。
舎利禮文 ↓全文↓
一 心 頂 禮 (いっしんちょうらい)
万 徳 円 満 (まんとくえんまん)
釈 迦 如 来 (しゃーかーにょらい)
真 身 舎 利 (しんじんしゃーり)
本 地 法 身 (ほんぢほっしん)
法 界 塔 婆 (ほっかいとうば)
我 等 禮 敬 (がーとうらいきょう)
為 我 現 身 (いーがーげんしん)
入 我 我 入 (にゅーがーがーにゅう)
仏 加 持 故 (ぶつがーじーこ)
我 証 菩 提 (がーしょうぼーだい)
以 仏 神 力 (いーぶつじんりき)
利 益 衆 生 (りーやくしゅーじょう)
発 菩 提 心 (ほつぼーだいしん)
修 菩 薩 行 (しゅーぼーさつぎょう)
同 入 円 寂 (どうにゅうえんじゃく)
平 等 大 智 (びょうどうだいち)
今 将 頂 禮 (こんしょうちょうらい)
<訳>
一心をもって礼拝したてまつります。
全ての徳を持ち合わせた釈迦如来の本身の舎利(骨)は、本来は永遠不滅の法であり、法界の塔婆であります。
私達は礼敬します。
私の身をもって入我我入(我が如来に入り、如来が我に入り、衆生即仏と観ずること)し、
仏の慈悲の力ゆえに、私は迷いを断って得られた悟りの智恵を証します。
願わくば仏神力により人々を利益し、菩提心を発して菩薩行を修行し、
悟りの境地に入って大智が平等となりますように。今まさに頂礼したてまつる。
参考:http://ameblo.jp/white-lotus-511/entry-10100181721.html
チェックもしてませんがyoutube。コメントによればオモロイらしいです。