俺。「知ったか人」也
とある機会に、ご指導というかご指摘を頂いてから、自分の生きざまに非常に引っかかっていること。
その答えの一端が、blog「モチベーションは楽しさ創造から」さんの2010年7月20日の記事『Padを批判した宮崎駿監督に共感。「知ったか人」増殖の危機』にあるのかもしれない。
一度、「情報に触れると」、「知ったか人」になるのです。知ったか人とは、「オレはその事については知っている!」と思い込んでいる人たちの事。表面の知で満足してしまう人のことです。「表面の知」とは、記号として知っているレベルのこと。表面的な知は消費するのには役立つが、何かを生み出すためには「奥深さ」が足りない。
宮崎監督の言うところの「消費者ではなく、生産者になりなさい」というところだと思います。知ったか人は、消費する為に必要な知しか手に入れることができず、知っている情報もトリビア(雑学)でしかない。何かを生み出す為には(生産者になるには)手に入れた情報をもとに、一歩深く考えて、本質的な知を手に入れる必要がある。
情報検索に時間を取られないようになったのですから、浮いた時間で情報咀嚼をたっぷり行う。表面の知を、本質的な知にかえていき、生産者になる。
知ったかぶり。浅い知識。鼻につく。
「浮いた時間」を新たなトリビアを求めてしまっている。
結果、重要なのは広さよりも深さということか。
情報がこれだけ転がっていると、自分だけが知ってる話題なんて無い。
でも、その組み合わせや理解力によって、新しいものが創れる。
そうか。