情報消費者から「発信者」にならねばならぬ
予約日は11月14日のauショップ。
発売時直前に問い合わせをしたら「入荷日未定、年内ギリ」との返答だったのに、東京の量販店では当日分で100台アリとか悲しすな情報。
とりあえずは場末の携帯やさん(ショボいスーパーに入ってる店とか)が狙い目らしい。
そのあとは量販店、最後にauショップみたいです。
auも60万台作ったとか言ってたのはウソだったんかなぁ。
結局、auショップは弱い立場ということを知らなかった私が悪いのでしょう。
IS03にはスカイプちゃんが搭載。
別に神戸に滞在してるからってわけではないがJafkaニイと10年ぐらい前に1回だけパソコンでスカイプった以来、存在を忘れてたんですが、パソコン版が自分的に響かなかったのはパソコン前で通話するという滑稽な形だから。メッセンジャーのボイスチャットも双方向通話ができなかったヤツだと「はっ、はっ、はぁ~~~おもろいねぇ!!!どうぞ」という無線みたいな切ない感じでしたもの(つきあってくれた、しんちゃんに感謝)
でも、今回のauスカイプは、携帯に搭載されてる訳なので、お互いにIS03同士なら通話料無料ってのがエエやね。
と、盛り上がったのですが、スマートホンにして何をしたいのか?という自問自答は続いてるわけで、「ガラケーが弓矢ならば、スマホは鉄砲だぜ」とかご指導賜っても、戦争しない平和主義な私は実は弓矢ですら扱い切れていないわけです。実際、今日も充電切れそうになったし。
情報ってのは、何かを実行するための礎であるはずなのに、なんだか漠然と収集してるだけになってる。
「集める時間」と「それを育てて、新しいものとする」の比率を考えながら生きていかないと、なーーーーんも残らない気がしてきた。
”すぐに情報が手に入る”んだから、すぐに実行。
消費するから消化して「血・肉・骨になる」ってのが必要だわさ。